べロ出しチョンマ

ベロ出しチョンマ (新・名作の愛蔵版)

ベロ出しチョンマ (新・名作の愛蔵版)

今日、立ち寄った本屋で「べロ出しチョンマ」を見つけて、昔々、小学生のとき図書館で読んだ記憶が甦り、本を手にとって読んでみる。滝平二郎さんの挿絵を懐かしみながら読む進めると、… … …。

涙が溢れて止まりませんでした。

本屋で、ボロボロと涙を流してしまいました。

悲しい結末と、散りばめられたユーモア、それらとピッタリと合った挿絵の表現。込みあげてきた感情を、今はどう表現していいかわかりません。

なんとか心を落ち着けて、いつか子供に読み聞かせてあげたいと思います。

    • 6月6日追記--

正直、街中の書店であそこまで感情がたかぶってしまったのは初めての経験なので、なぜああなったかを少し振り返ってみた。
 人間は誰もが打算的な部分をいくらかは持ち、行動についての意思決定はこれに影響される。だから、その人の普段の行動は何らかの打算を含めた論理(それが正しいかどうかは別にして)に基づいて決められていくのだと思う。
 しかし、「べロ出しチョンマ」の主人公のとった行動はこの考え方からはかけ離れている。これから家族みんなが処刑されてしまうのだから、打算のへったくれもない。なぜ彼が、一瞬だけでも妹を安心させようと行動したのか。これは本能に基づく行動だったからではなかろうか。本能であるならば打算も論理も関係ない。自分が愛しく思うものが、不安に怯えているならば、「とにかくなんとかしなければならない」と感じ、行動する。理屈もなにも必要ない。この物語は、人間は極限状態におかれた時、愛しいものを守ろうと、それが駄目でも、愛しいものが辛い思いをしそうならすこしでもそれを和らげるよう行動すると信じて書かれたのではなかろうか。
 あまり、うまくまとまっていないが、自分が感動した理由のある部分はこのようなことがあるのではないかと思う。